昭和43年11月27日 朝の御理解

 第80節「年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先へ生まれてきたのではない。みな、神のおかげで生まれてきたので、早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りを敬うのぞ。若い者でも役に立つ人はなんとなく人が敬うようになるが、不都合、不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心がけておるがよい。」

 よう心がけておるがよいと、よう心がけておかなければならんのですね。心がけておかなければならないほどにです、えー、年よりをなんとはなしに、軽く見、大切にしない。おやもうということになると、いよいよできていないことに気がつくのです。
ね、これは心がけとかなくても、もう当たり前のこととして、出来なければならないのですけれども、心がけておらんと、ついつい年よりを粗末にする。かるう見る。

 ね、特に今日はね、年よりを大切にせよ、ね、年よりを敬うのぞと言うところを、強調して頂いておる感じです。
 ね、大切にするだけじゃなくて、敬うということ。私あのー、信心をさせて頂く者の情操とでもいいますかね、それがいよいよこう豊になっていくということは、このようなことじゃろうかとこう思うんです。

 えー、私は、あのもう20年にもなることですけれども、この一言が忘れられないことがあります。それはあの、三井教会の、んー、総代をしておられます、渕上先生が、えー、旗崎の教会で信徒共励会がありました。もちろん、旗崎の教会の、おー、前、以前でしたから、御広前が狭いので、あの、おー、しょうこうじょ?の下の、おー、広場で、あそこにござをひいてから、その共励会がありましたときに、渕上先生がこんなお話をしたことを覚えて、ほんとに有り難いことだなと、思うて、そのことが忘れられないのですけれども。

 えー、あちらのお母さんは、百、百二歳ですか。なられます。まぁー福岡県に、百以上の方が、20人ぐらいおられるらしいですね。その中の、今7番目だそうです。長者番付ねー。そのお母さんのことをですね、20年前に話しておられる、たことをですね、今朝仕切りに思い出させて頂いたら、今日ここ、80節を頂くんですね。
 もうそんときに、もう難しかろというように、お母さんが、具合が悪かったことがあったんです。もう毎晩、彼はその当時学校いっておりますから、もう、ほんとにあの、もうー、明日の家業に差しつかえ、けれども学校休んでからでも、まぁ、介抱さしてもらうと言うので、まぁ、ようひ?を、おーその、かけて介抱して大事にしておられる。

 それがその、ちょっと休んで朝方になってくるときにですね、そのー、お母さんが、あの、朝っと目を覚めたら、まあだその、息をしてござったというのである。ね、はあー、神様、まあだ、今朝もお生かしのおかげを頂いておりますと言うて、お礼を申し上げたと言う話をされたことがあるんです。

 もう、今あー、ちょうど20年ぐらい前の話ですから、81の時じゃった(   )でしょうか、おばあちゃんが。ね、ほんとにもう、80にもなるおばあちゃんが、もうむつかしかといったよな毎日の続くのにですね、そのー、今日も、今朝もまあだ生きてござったということを、神様に心からお礼を申し上げるというそういう心ですか。それからまた、20年間長生きのおかげを頂いて、もう最近ではね、先日、あちらの総代さん方、委員会がございましたときにも、もう、そのー、必ずそのおばあちゃんの話が出るんです。

 今日はまあーた、その、世の中に危篤?人がございますっち。その、どっか飯塚のどっかの方が、わざわざ尋ねてみえましてですね、自分で作った手作りのその、んー、二枚屏風を作って、ずっーと、100歳以上のところへ配って歩きよんなさる、九州中に。九州中というか、福岡県でしょうかね。えー、してその、お年よりの枕もとに、あれして下さいというてのその、母におうてもう大変喜んで、その帰られる。そういう人がこの頃大変多くなった。

 今度はあの、今年は明治百年で、えー国からも金杯を贈られたり、もうあっちこっちからいろんなものをその、送ってくるというんですね。で、おかげでもう、母のおかげで、ばあちゃんのおかげで、私共がいろんな物をもろうてからというてその、喜んでおられましたがね。

 最近、んー、やはりあの、もうやっぱちょっと弱られたらしいですけども、それでもまいーにちあの、(        )こ高い山になったとりますね、そこえ必ず登られるそうです。にへんぐらい登られるそうです。そしてから、登ってからですね、まつかさ?が十ぶぐらい拾うてこらっしゃるそうです。(     )。そしてから、嫁さんの名前ゆうてから、こげなんとば拾うてきたばいっちゆうてから、やんなさるそうです。もう本とに、この親が子供のことを思うというか、家のことを手助けをするというその思いというか、もう本とに、ほとほと頭が下がりますっち言うてからその、話されるですね。

 もうほんとに、生き仏様のようにしてあつこておられるのが、目を、目にこう見える感じがするんですよね。大切にするというのではなくて、敬うておらえる。なるほど、神様から大事にされなさると思うですね。えー。年寄りを大切にせよと。

 これはもう私どものことを言うておかしいですけども、私共の母は、80になるおばあさんを一緒に二人見立てております。もう、年寄りちゃどうしてこげん大事にならんもんだろうかというほど、大事にしております。もう大変な忙しい中にですね、私のばばの妹が、あーその、かかってきとりましたから、あー、まぁ当時その、年寄りを一人づつもっておりましたから、こりゃ、私が思うとき、弟は、私のばばを自分のばあちゃんと言い、妹は、そのかかってきとるばあちゃんを自分のばあちゃんと言い、ね、ばあちゃんを一人づつもっとりましたが、やっぱつようして、80いくつ。私のばばは、93でした。

 それからあの、これはもう私は覚えとりましぇんけれども、その、歩きにきて、最後に歩きに来なさったのは覚えとりますが、私のばばの母の、私のひばばになりますが。田主丸からきとった。田主丸の林田からきとります。
 その人は、あー、(ひゃくもうし?)まで生きとります。ひゃくもうしの年まで、椛目の自分の娘のところ、私のばばのところへ歩いてきておった。そんときのことを私は覚えておるんですけれども。

 あのそんときに、その、曾婆が、言いよったのがね、もう、ここが一番おりよかっち言うてから、その言いよったっと。もう、きたら一ヶ月も、二ヶ月もそのかわり、まとわりをしてですね、まぁそういう人でしたが。あの、いかにその年寄りを大事にする、その雰囲気が、あったかということを感じます。

 本とに今、私の母があー、それこそ私共は大事にしきらんけれども、神様から大事にされておるということを思うのです。ね。これなんかはもう、大切にせなければならんとか、敬わなければならんとかといったようなことで、敬うのでもなかなけりゃ、私たちのような、そうしなければおられなかったのです。ね。母の場合。
 ね。そういう私はあの、おー、おかげをうければならない、しかもそれが、その人の信心の情操になっておるというところにですね、信心させて頂く者は、はぁ、よう心がけておくがよいと。

 どうでしょうかね、昨日の朝の御理解を、昨日一日心にかけられたでしょうか。不足を言わんどこではない、不足を思うまい。いわいるそこから、信心の三昧教、そういうものを体得させて頂こうといったような御理解でしたですね。
 私は、こう思いますのにね、心がけておくということ。私は昨日は、もう不平、不足なんかはもちろんですけれども、おかげで不平を思わんですみました。全然、思わんことは、ちょっと思うようなことがあるんだけれども、ね、心がけておりますから、あっいけないいけないと、こう心の中にこう、あっまた思おうとしよる、いけないいけないと心の中に思う。それだけで、それが祓われます。思う前に、思おうとしておる、おかげで一日、不足にも、不平にも思わず、もちろん、言うこともなく、おかげを頂いた。

 ね、私があの、そういう気持ちでおりますと、第一家内がおかげを頂きます。夕べご飯を頂くときに家内と、今日はおれが、ひとっつも不平を思わず、不足を言わなかったけん、今日一番助かったのはお前だったね。っと言うて、家内もなんとはなしに、もう本とに満足しきったような顔をしておるんですね、昨日はおかげで。

 不足は言わんでも、私が(      )してから、その、なんとはなしにこう、常時あっちこっち見てから、どうかこう、言やせんばってん、なんば言われるじゃろうかと思うて、家内はいつもびくびくしておるような感じなんですね。それをわかっておってその、ほかの者には言わんけれども、家内にはいつもその不足を言う。ね。片付けようが悪か、あー、その、味付けが悪かと言ったようなことなんですけどもね。たいしたことじゃなくても。ね、けれどもそういう中に、そのなんか安心してですね、家内も私の顔色ばっかり見とかんでええと言ったような、まぁ一日やったように思う、そのこと話たことでございました。

 ね、心がけておくということがです、はぁー、教祖様の教えてくださることを、こう心がけさせて頂いておくことが、こんなに有り難いものだとわかるから、もう昨日一日じゃない、今日も明日もあさっても、そのことが頂けれることを、有り難いというところに、教えが身についてくる。
 今日もここんところを、心がけておくがよいと仰る。ね、年寄りを大切にするだけではなくて、敬うのぞとこう仰る。ね、そういう、例えば私共は、心がけなければならんほどにです、年寄りを大切にしていない。年寄りを敬おうていない。ね、だから、心がさせて頂いておるところからです、例えば物ひとつ作るでも、年寄りを中心に、ね、弱いものを、と、例えば言うようにですかね。年寄りがおりますから、どうぞ、年よりも、おいしゅう頂けれるようなものを作らせて下さいっと言ったような、祈りの中に、心がけさせてもらう。

 今日はね、そういうことをひとつその心がけられたらどうでしょうか。心がけておるがよい。年寄りをね、ほんとに、えー、粗末にするぐらい見苦しいものはありません。
どうでもそれを、ただ(       )するのではなくて、ここでは、年寄りを敬うのぞっと仰います。ね、信心する者はよう心がけておるがよいと仰る。そこを心がけておる。ね、そういう中に私は、あの豊かな信心の情操があー、でけてくる。ね、そして、渕上先生じゃないけども、今日もまあだ生きてござったということにですね、今日まで、今日も生きておるということ。周りのおかげを頂いておる、今日もまだ生きてござったということをです、ね、心から神様にお礼を申しあげられるような心。そういう心が、私はやはり神様にかよわないはずがないと思う。

 ね。昨日はとりわけここんところに、心がけさせて頂こうと。それを実行された方は、これは今日だけのものではない、明日もあさっても、これはこげんあるが一番よいと思い、おそらく体験なさったことであろうと思うですけれども、今日はどうぞ、ここんところをです、ね、信心する者はよう心がけておるがよいと仰せられるのですから、大切にするだけではない、年寄りを敬うのぞと仰る、このへんのところをです、ひとつ頂いていきたいと思います。ね。どうぞ。            ハルコ